Diary:2026-06-24-wed
#21 June 24, 2026
先週まで2週間ほど日本に帰っており、長崎→東京→奈良と滞在していました。
今回も前回の長崎滞在に続き、長崎県内の二つの大学で、「コンテンツライディング」をテーマに、60分の講義をさせていただきました。うちひとつは100名ほど参加した講義だったんですが、普段人前で話すことはないので、緊張して途中頭が真っ白になる場面がありました。今回で大学の講義は4回目になるんですが、そろそろ人前で話すのにも慣れたいです。
講義の前に学生の方たちに、今どんなプラットフォームを普段見ているのか聞いたのですが、本やWeb上の記事を読んでいる人はほぼおらず、YouTubeを観ている人も数人ほどしかいない。ほとんどの学生がInstagramを中心としたSNSを見ているとのこと。
普段文章を読んだり書いたりしない方たちに対して、「文章を書くこと」について何をどう伝えるか考えつつ、毎回話す内容を少し変えているのですが、あまり興味を抱かない内容に、興味を持ってもらうのは難しい。
一方で、企業が主催するイベントなどに集まる学生たちは、YouTubeを観てAI情報を収集したり、音声入力を駆使してAIを活用していると聞いて、見聞きするものは社会人とそこまで変わらない印象を受けました。昔ほど単純に世代や地域によって分けて考えるものでもなくなってきたんだなと改めて実感した長崎滞在でした。
久しぶりに東京で働いていた頃の上司に再会し、社内のAI自動化の話を聞いていたのですが、自分でメールの文章を書くことも無くなったと。
クライアントとの打合せ後、AIがすぐに自分の文体や会議内容を踏まえたお礼メールを作成して送ってくれるから、自分で返信しているのはLINEのみで、なんで自分が返信しているのかと時々違和感があると言っていて、面白いなあと感じました。
今はまだ「コミュニケーションにAIを使うとは失礼な」と考える人が多い印象ですが、もう少しAIの利用が浸透して、AI同士でのコミュニケーションが多くなれば、自分がコミュニケーションを取るのが馬鹿らしくなってくるのでしょうか。
僕自身はこの流れを悲観的に捉えているわけではなく、世の中がそっちに動くなら変に抗わず流されたい。この行く先を見てみたいという好奇心から来るものです。
ただ、人とのコミュニケーションにAIが取って代わることで、本来起きていたはずのコミュニケーションのすれ違いや問題が起きなかったことになるのではないか。
本来あったはずのネガティブな要素が排除された、綺麗なコミュニケーションだけが淡々と交わされる。そんな世の中になってしまうのではないかと想像してしまいます。
人とのいざこざなんて出来れば起きてほしくない。ただ、思い返せば今の自分を形作っているのは、そういった出来事の積み重ねだとも感じます。もちろんそれだけじゃないですが、含まれているのは否定できない。
AIが入ることでそれがなくなるのだとしたら、少し寂しい。均一化されていく、枯れていく、人らしさを失っていく、適切な言葉が見つかりませんが、そんな方向に向かっていく気がします。
長崎でApple Watchをしたまま温泉に入ってしまったせいか、完全に故障してしまいました。交通系のICカードを集約させていたので、今回の滞在では全く使えず、現金とクレジットカード、PayPayのみの生活(PayPayを使うのが未だにちょっと恥ずかしい…)。
特に移動時はだいたい現金か交通系のICカードしか使えなかったので、本当に不便でした。特に長崎と奈良はバス移動もあったんですが、現金がちょうどあるかドキドキしました…。何かあったときに、決済手段をひとつのデバイスに集中させてるのはあまり良くないなと。
Apple Watchがなくてもそんなに不便ないだろうと思ってましたが、日々の計測で必須なのはもちろん、普段の生活で意外と不便に感じることがあり、結局新しいApple Watchを買うことにしました。
今回はApple Watch以外にも新しいカメラやレンズを購入したり、東京で衣服を新調したり、Amazonで細々したガジェット系のものを買ったりしました。普段台湾ではほとんど買わないので、日本に来たタイミングでまとめて買うようにしています。
あと日本滞在時に毎回することとしては、持ち物をメルカリに出品すること。今回はカメラとバックパックを出品しました。だいたい何か新しいものを購入したら、古いものは手放すようにしています。
次の日本滞在はおそらく10月。今年は海外にも行きたく、香港とチェンマイを考えています。





